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青野太潮[著]どう読むか、新約聖書 福音の中心を求めて
新書判・240 頁・1,100 円
ISBN978-4-909871-31-2 C0216
聖書学の常識は、信仰のヒジョウシキ。
この逆説と乖離の荒海を、いざ航海。
「青野先生はキリスト教の『常識』にいつも挑戦されているのですね」といった類のことを言われることがあります。しかし私が挑戦しているのはむしろ、少しでも新約聖書学の「常識」を日常のキリスト教信仰のなかに取り入れたい、ということです。しかしそれらふたつの「常識」は、多くの場合、厳しく相対立していますので、ことはやっかいです。
著者紹介
青野太潮(あおの・たしお)
1942 年静岡県生まれ。国際基督教大学、東京大学大学院を経て、スイス・チューリッヒ大学神学部博士課程修了。神学博士号(Dr.theol.)取得。現在―西南学院大学名誉教授、平尾バプテスト教会協力牧師、日本新約学会前会長(2009 年―2017 年)。
専攻:新約聖書学、最初期キリスト教史著書:『「十字架の神学」の成立』(ヨルダン社/新教出版社)、『「十字架の神学」の展開』『「十字架の神学」をめぐって』『最初期キリスト教思想の軌跡』(ともに新教出版社)、『パウロ書簡』『聖書を読む 新約篇』(ともに岩波書店)、『どう読むか 聖書』(朝日選書)、『十字架につけられ給ひしままなるキリスト』(コイノニア社/新教出版社)、その他、共著、訳書、多数。
主な目次
一章 どう読むか、聖書 — 福音の中心を求めて —
『パウロ 十字架の使徒』(岩波新書)で展開したことがら
なぜ「十字架につけられたまま」なのか
そのキリストにパウロは回心において出会った
贖罪ではなくて、苦難のなかで共に苦しむことをしてくださるキリスト
キリストの「死」と「十字架」の区別
十字架の残酷さには、イエスの逆説的な福音における悲惨さへの言及が符合する
〈歴史的な経過に逆らう存在〉としての復活者イエス
神の啓示がパウロの内側の思いに「呼応」する
その「呼応」がもたらす現代的な意味、そして学問と信仰
「呼応」の関係はイエスの別の言葉からも
「啓示」に基づく「預言」についてのパウロの言葉がさらに教えていることがら
イエスの教えを継承するパウロの「信仰義認論」
より高次の確信へ、すなわち「福音と律法」の本来的な関係の成立へ
神の前で謙虚に相互の吟味・検証をなす
二章 〈処女降誕〉物語をどう読むか
はじめに
当惑の理由
イエスの「処女降誕」物語をどう読むか
マタイとルカの二福音書の報告における相違・齟齬
「処女降誕」物語の並行例—— その(1)——
「処女降誕」物語の並行例—— その(2)——
「処女降誕」物語の並行例—— その(3)——
「処女降誕」物語の並行例—— その(4)——
「処女降誕」物語は読者によってどのように受け止められるのか
「処女降誕」物語の成立についての仮説
史実性の問題
マルコは何を語るのか
パウロは何を語るのか
光、そして影から「光」へ
三章 〈贖罪論〉を、そして〈復活〉をどう捉えるか
1 基本にある「インマヌエルの原事実」 小項目多数
2 十字架の神学 小項目多数
3 「福音の中心」としての「さいわいなるかな」と神の無条件で徹底的な愛とゆるしの福音
4 聖書の中の周辺的な「ことがら」 小項目多数
5 「神理解」が問われている 小項目多数
6 ヘレニストとヘブライストの信仰理解の相違に注目することの重要性 小項目多数
四章 イエスとパウロ
パウロは歴史上のイエスに無関心?
内容的(ザッハリッヒ)な対応
パウロの「十字架の神学」からの考察
ヘレニストによる橋渡し?
パウロがそれと断ってイエスの言行に言及する箇所
なぜイエスの言葉への言及はこんなに少ないのか
イエスの言行への「暗示」「ほのめかし」
あとがき — 『どう読むか、新約聖書』