青野太潮[著]どう読むか、新約聖書  福音の中心を求めてのレビュー

青野太潮[著]どう読むか、新約聖書  福音の中心を求めて
青野太潮[著]どう読むか、新約聖書  福音の中心を求めて

お世話になります。
自分のフェイスブックに書いたもの(に少し加筆して)を、こちらに転記させてもらいます。よろしくお願いします。
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✩【『どう読むか、新約聖書~福音の中心を求めて』青野太潮著(ヨベル新書)】
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✩「処女降誕、贖罪、復活・・。何ひとつ信じられなくてもだいじょうぶです!」と、青野先生(新約聖書学者)は、それらのことよりも他に、もっと本質的に大切なことがある(福音の中心がある)と言われます。そして、キリスト教でこれまで「常識」とされてきた事柄への実証的な検証を、多岐にわたって展開しながら、証明されています。
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(福音理解・信仰を深めるためにも、聖書学という学問研究の大切さを感じています。しかも青野氏の、自らの論を絶対化することなく自分を相対化しながら進めていこうとする姿勢にも学ばされます。)
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本文より⇒「・・実際、イエスを最後の犠牲者と考える『贖罪論』によって『罪のゆるしのためには神の子イエスの犠牲が必要だったのだ、と神は考えておられるのだ』、という、あえて言えば『残酷で恐ろしい神理解』が、依然として今日もなお多くのキリスト者の『信仰』のなかに生き続けていることが、その矛盾を明らかに示しているように、私には思われます。・・」と。つまり青野氏は、イエスが生きている時、どのような人々と交わり、そして、どのような思いで活動したのか、ということに最も大事なことが含まれているのであると、指摘されているのです。
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※多くの方々に、本書を手に取って頂きたいと願います。処女降誕や贖罪・復活などの「検証」には目を見張るものがあり興味深いはずです。(更に個人的には小生は昔、滝沢克己先生(元九大教授)の神学書も貪るように読んでいましたが、この本で青野先生が「自分の新約聖書学の探求をとおして、滝沢神学こそがキリスト教信仰の基本構造を正確に言い当てている、と考えるに至りました」と述べておられます。そのことも個人的喜びでもあります。また、他の方々も、この本で、滝沢克己氏のことを知る切っ掛けになりますように!)

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yuichi-tさん