河野勇一 [著] 人はどこから来て、 どこへ行くのか? 《神のかたち》 の人間観のレビュー
![河野勇一 [著] 人はどこから来て、 どこへ行くのか? 《神のかたち》 の人間観](https://imagedelivery.net/QondspN4HIUvB_R16-ddAQ/54f455533cd482e8aa00061b/60d2389e1bf807127bb6.jpg/fit=cover,w=60,h=60)
人間にとっての根源的な問いがそのままタイトルになっていて興味を惹かれた。
哲学者らを悩ませるいっぽうで、キリスト者にとっては、その答えは明確に示されている。本書が詳らかにしているのは、「人間は、神が自身の存在を(人間を通して)示すために(19頁)、『神より僅かに劣るもの(詩篇8篇)』として、神からの語りかけに応答して生きるべく(57頁)造られた。しかし神に背いて『神と人間との本来の関係性』を毀損してしまったから(24頁)、イエスを仲保者としてその関係性を取り戻し(119頁)、この世ではおのおの使命を全うするように生き(261~266頁)、最終的に行きつくのはイエスと共に『神の国』を治める(327頁)」といったことである。
この「本題」に関連し、あるいはそれを補うかたちで様々なことが論じられている。例えば、神と人間との契約関係は「民法的」であると捉え、その立場から刑罰代償説を「刑法的」だとして異を唱えているあたり(117頁~)や、「十字架を負う」の意味は「自分の外から不条理に負わされた苦しみ」だと誤解されがちだがそうではなく、「神から委託された使命」のことと理解すべき(261頁)、など興味深く読んだ。
さらに、巻末の「研究ノート」も非常に勉強になった。ヘブライ語とギリシャ語の正しい理解がこんなにも大切なことだったとは。キリスト教の根幹を成すような重要な部分でさえ翻訳された際におかしなことになってしまった箇所がいくつもあるということ、そしてその訳がキリスト教界でそのまま長いこと通説となってきた(なっている)ことに驚いた。
上記に述べたように多くの学びがあったが、本書は神学的知識がそれなりにある人向けかもしれない。自分には少々難易度が高いと感じた。でも牧師さんや神学生さん、それに準ずる知識を既にお持ちの方には全く問題ないはずである。
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5