潮 義男[著]創世記講解 下 創世記 23章〜50章のレビュー
![潮 義男[著]創世記講解 下 創世記 23章〜50章](https://imagedelivery.net/QondspN4HIUvB_R16-ddAQ/54f455533cd482e8aa00061b/3933fdba14188c62fdd3.jpg/fit=cover,w=60,h=60)
創世記の中には納得できないエピソードが色々あるが、本書を読んで、著書の思いやりが垣間見れる語り口や、物事を俯瞰的に見る洞察のお陰もあってか、「なるほど、そんな見方もあるのか」と何度も思わされた。
その一つに、エサウとヤコブの兄弟のエピソードがある。多くの人もそうだと思うが、私はエサウに対しては「気の毒に…」、ヤコブには「狡い奴!」、イサクと神に対しては「依怙贔屓をするなんて!」、と思ってきた。しかし本書の中の「ヤコブは、その性格の弱さや欠点、欺瞞的な人間であっても、神を求め、神の祝福をいただこうと熱心でありました。それがヤコブのヤコブたるゆえんです」(114頁)を読み、ヤコブに対する見方が少し変わった。なんというか、いわゆる「憎めない」タイプの人といったところだろうか。悪く言うと「要領がいい」のかもしれないが。これは人によって受け止め方は様々だと思う。
他にも気付かされたことが色々あった:
「霊的解釈という言葉があります。聖書の言葉を霊的に解釈するのです。言葉通りに受け止めず、その奥にある信仰的、霊的な意味を探る方法です。この霊的な解釈では、神との格闘は祈りと言われます。(中略)伸るか反るか。成否は天にまかせ、思い切って物事を行うこと。そこには神への全き明け渡しと献身。ゆだねることが求められます」(111頁)
「神の摂理とは、『万事を益としてくださる』という信仰です。(中略)歓迎されない人生の苦い経験、痛み、傷、嵐を通して、神は栄光を現し、益に変えてくださるという神の恵みと祝福を言います」(135頁)
・・・など。
とにかく登場人物たちの人間関係がドロドロしていて生々しい。そこが物語に深みを与えているのだと思う。
また、個人的なことになってしまうが、私はキルケゴールもウェスレーも大好きなので、この二人を本書の終盤で取り上げてくれているのが嬉しかった。潮氏に、いつか「死に至る病」をキリスト教的観点から解説する本でも書いていただきたいと願う。
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